別に、最初はどうとも思ってなかった。

もっとはっきり言えば、そいつを見ても『誰だ、お前?』という程度の認識しかなかった。
(それは認識とは言わねーか)

それなのに、何でだ。

何であいつの存在は今、俺の頭の中にある?


離れえぬモノ。


「跡部君おる?」

うちのクラスの教室に姿を現したかと思えば、
そいつはそん時たまたま扉の近くにいた俺に向かってそう言いやがった。
それも、関西弁で。

正直、俺様を知らないとはどこの間抜けだ、と思った。
だがしかし、俺の思考なんざ知るワケないそいつはどこかボーッとした顔で更に言う。

「おらんの?」

馬鹿か、お前。周囲が何でざわめいてんのかぐらい気づけ。

「まーええわ。また次の休み時間に来るから。」

どこまでもボケたことを抜かしてそいつは回れ右をしやがった。頭おかしいのか、この女。

「待て。」

俺は思わず背中を向けたそいつの襟首を引っ掴んだ。

「俺が跡部だ。」
「うぇっ?!」

名乗った瞬間、そいつは間抜けにも程がある声を上げてこっちを振り返った。

「御免、もしかしてちゃんと返事してくれとった?よう聞こえへんかったもんやから…」

実のところ、俺は何の返事もしてなかったのだがそいつは
1人で自分の耳が悪かったせいにしてしまった。
……人がいいのか極度の馬鹿か。どの道、悪人に利用されるタイプだな、こいつ。

「誰だ、お前?俺様に何の用だ?」

自分の思考は置いておいて、俺はそいつに尋ねる。

「届けモンがあるから、渡しに来たんやけど。」

やたら通りのいい高い声でそいつは答えると、手にした何かをほい、と俺の鼻先に突き出す。

「音楽室の私の席にあった。名前とクラス書いてたからここやろ思て。」
「てめぇ、人の話半分しか聞いてねぇだろ。」

俺は言ってそいつの手から音楽のノートをひったくった。
…俺としたことが迂闊にもさっき授業があった時に音楽室に置き忘れてきたらしい。

当の本人は、え?と小さく呟いてキョトンとした面で俺を見る。

馬鹿だ、こいつは絶対馬鹿だ。でなけりゃ狂ってる。

「さっき、お前誰だってきーただろうが。」

何となくイライラしながら俺が言うと、そいつはああ、と呟いた。

「言う必要ないやろ、と思ったもんやから…私の名前覚えたってしゃあないやろ?」
「人が聞いてんのに勝手に独り決めしてんじゃねーよ、
この馬鹿。俺様が聞いたんだから答えろ。」

言った時、そいつが一瞬ムッとした顔をしやがったのは絶対気のせいじゃねぇ。

 ってゆーねん。」

これで満足か、と言いたげな口調だった。

「覚えといてやるよ。俺様を知らなかった奴なんて珍しいからな。」

、と名乗ったそいつは何だか状況を把握しきれてない面で、
控えめにコクンコクンと頷きやがった。
俺様の存在について、まるっきし実感がないらしい。

「行っていいぜ。」

ボーッとしているに俺は言った。

はまた一瞬、ムッとした顔をした。

多分アレだ、関西弁で言うところの『お前何やねん。』とゆー感じ。
(知り合いに関西人が約1名いるとこんないらねーことがわかるようになる)

そして、はきびすを返すとタッと駆け足で去っていった。

後にはクラスの奴らがやたら騒ぎまくる声だけが響いていた。


…多分、これがそもそもの根源じゃねぇかと思う。





次に に会ったのは別の日の休み時間、俺が廊下を歩いてる時だった。

「くおらー、向日ーっ!!!」

随分騒々しい女の声がしたかと思えば、

「おらおらー、どいてくれーっ!!」

ビュンと俺の傍らを見覚えのある奴がすっ飛んで行きやがる。

向日の野郎じゃねぇか…何やってやがんだ。
俺は声をかけようとしたが、忌々しいことに
見慣れたおかっぱはこっちに目もくれずに去っていく。

向日が去った数秒後、次はドタドタとトロくさい走り方で別の誰かがやってきた。
今度は何だ、と思ったらその誰かは俺の側で急停止した。

「くそーっ、逃がしてもうたかーっ!あのミソミソーっ、戻ってきたら覚えとれ!!」

関西弁に慣れてない奴でも明らかに柄が悪いとわかる言い回しを混ぜながら、
そいつはゼェゼェと肩で荒い息をする。

クックック。

俺は思わず笑いを漏らしてしまった。

「随分騒がしいこったなぁ、。」

は、んあ?と間抜け声をあげてこっちを見上げる。

「あ、跡部。いつの間に。」

どーやらこいつは今まで俺が居たことにまるっきり気がついていなかったらしい。
それはいいが、この前は『跡部君』だったくせにいきなり呼び捨てたぁどういうこった。

「てめぇはどういう基準で人呼んでんだ。」
「男子は基本的に呼び捨て。初対面の奴には礼儀上『君』付けてる。」

ここではせやけど、と付け加えた。

「ホンマは『君』付けするん嫌いやねん。口かゆーてかゆーて。」

言ってこいつは口の横をポリポリと掻く仕草をしやがった。
いい性格してやがるぜ。

「で、てめーは一体何やってたんだ?」

俺が尋ねるとはムゥと言う顔をした。

「ミソミソの奴がまた私をおちょくってきて…ちょっとはたいたろ思たら逃げられたんよ。」
「そんで追っかけてたってワケか?バーカ、あいつはあれでもうちの部の正レギュラーだ、
お前みてぇな運動出来なさそうな文化系が追いつく相手じゃねぇよ。」
「自分でわかってても人に言われるとムカつくんは何でやろ。」
「所詮図星ってことだろーが。」

言いながら俺はふと、視線をから外してその後ろで何やら騒いでいる女子連中を見た。

俺と話しているを見ながらコソコソしていた女共は
蜘蛛の子を散らすようにさっと逃げ去った。

「…どないかしたん?」

俺が睨んでいたのに気がついたが訝しげに尋ねてくる。

こいつやっぱ馬鹿だ。いや、関西人だから阿呆と言ってやった方がいいのか?

自分の後ろがどんな状況だったくらい把握しやがれってんだ。

そう言ってやろうと思ってたのに、俺の口は内心とは違うことを言っていた。

「何でもねぇよ。」

何でそう言っちまったのかわからない。別にこいつに気遣う義務なんざねぇのに。
何も知らないはそれやったらええけど、と呟くと前髪をかきあげる。

「じゃ、私もう教室戻るわ。そろそろ授業やし。」
「ああ。」
「ほなね。」

は呑気な調子で言って、自分の教室に入っていった。

別に大したことじゃねぇはずなのに、俺の中でその後ろ姿が
妙に印象に残ったのはどういうことだろうか。


「おい、向日。」

その日の部活の時、俺は近くに座り込んで小休止していた向日に言った。

 って女と親しいのか。」

おかっぱジャンピング男はいきなり何を、と言いたげに首をかしげた。

「まぁなー、おんなじクラスだし。それによくうちの店に買い物に来るからな。」

そういや向日んちは電器屋だったな。

「跡部、お前、知ってんのか?」
「まーな。」

間違っても俺が迂闊にも忘れたノートを届けに来た、とは言わない。

「俺様を知らねぇ女なんざ、早々いねぇんでな。」
「あー、確かになら知らねぇかも。あいつ自分の関心ないことに
一切興味持たねぇからなー。誰でも知ってそうな芸能人の名前すらわかんねぇ奴だし。」
「お前と親しいんなら知らねぇハズねぇだろ。どうせお前のことだ、
何やかんやいらねぇこと喋ってんじゃねぇのか。」

向日はギクリとした顔をした。
こいつ…後で練習メニュー追加だ。

「だけど、のことだから多分いちいち覚えてねぇと思うぜ。」

向日は何か感じたのか、誤魔化すように言った。
フォローになってねぇよ、バーカ。

内心で呟きながら俺は声に出して言った。

「あいつは…はどういった奴だ?」
「何でんなこと聞くんだよ。」
「只の好奇心だ、どってことねぇ。さっさと答えろ。」

俺の言い方が気に入らなかったのか、向日はドリンクをすすりながら
眉をひそめたが質問には答えた。

「いい奴だぜ。変わってるトコあるから遠巻きにする奴がほとんどだけど、
喋ってみたら言ったりしたりすることがおもしれぇ。
ノリもいいし。あ、後、頭も悪くねぇから、何かかんや色々知ってる。」
「ほぉ?」
「困ってたら出来る限り手伝ってくれるし、愚痴にも付き合ってくれて、
優しいしよ。でも、それだけじゃないんだよな。」

向日の話し方に俺はちょっとからかってやりたくなった。

「あんだ、テメェに惚れてんのか?」
「ちげーよっ!!」

思ったとおり、向日は食って掛かってきた。

「そんなんじゃねぇよ。そんなんじゃ…」

食って掛かってきた向日の声がだんだん小さくなっていく。

おい、いきなり何だよ?

「なんつーかなぁ…はそーゆーんじゃなくて…あー、うまく言えねーっ!」

俺は単に珍しくふざけてみたかっただけだったのに、
マジに考え込まれちゃあたまったもんじゃねぇ。

「冗談だ、んな本気にすんな。」
「タチ悪ぃぞ、跡部。あ、跡部だからか。」

俺は思わず向日の頭を思い切りどやしつけた。


三度目にに会ったのは、俺が気まぐれに交友棟のサロンへ足を運んだ時だった。

「なー、」

どっかで聞いたような間延びした関西弁が耳に入ってきたので
俺は思わずそっちへ目を向けた。
だ。向日と向かい合って喋ってやがる。

「アンタんとこMOディスクある?あと、ドライヴと。」
「お前、古いなー。今時MO使う奴なんかいるかよ、CDだろ、やっぱ。」

あんだ、パソコンがらみの話か?

「いや私もそうしたいんはヤマヤマなんやけど、私のパソコンCD-RWに
ファイルコピったら何回か使ってる内にCD自体を
ちゃんと認識してくれへんよーになるんよ。」

そりゃ、テメーのパソコンがポンコツなんだよ。
と、俺がボンヤリと思ってると

「そりゃお前のパソコンがヤバいんじゃねーのか?」

案の定、向日の奴が言う。

「まぁ、そうかもしれへんけど一応ちゃんと動いとうし。それはそれで。」

の口調は至ってマイペースだ。
向日はため息をついている。無理もねぇな。

「しょーがねぇなあ、ディスクもドライヴもうちの店で扱ってるぜ。」
「ほな、また学校の帰りにでも寄らしてもらうわ。」
「しかし、アレだよな。お前くらいのもんだぜ、学校帰りにうちの店に
来ちゃ何やかんや買ってく女子は。
お前だろ、この前うちでフロッピーしこたま買っていったの。」
「何や、バレとったんか。驚くことないやん、私変人やし。」

この時、俺はこいつらのすぐ隣のテーブルに座って様子を見てたんだが、
の笑っている顔が何故か気になって
ついでにお前ら、俺様がいることに気づきやがれ、とガキのようなことを思ってしまった。

「うん、確かにお前変わってる。そーいや聞いたぜ、跡部のこと知らなかったってマジかよ?」
「私が知ってると思うか?」
「…悪ィ、俺聞く相手思いっきり間違えた。」

向日が頭を抱えたため、会話は一時中断。
その間にも俺はずっとを見ていた。

「何ちゅーかな…」

しばらくしてが口を開いた時、俺はその言葉を聞き漏らすまいとしていた。

「他の子にも信じられへん言われたんやけど、私あんまし
誰かが噂になってたりするの気にならへんねん。
自分とか自分の友達のこととやかく言われとったら気になるけど、
別に関係ない人のこと言うてるの聞いたとこでどっちゅーことないやろ?」

その時、の言葉に何だか面白くないものを感じた俺はどうかしちまってるだろうか。

「まあ、そうだけどよ。」

向日が言った。

「ちったぁその辺にも敏感になっとけよ。跡部みたいのが
相手だとちょっと用事で喋っただけで女子連中が大騒ぎなんだぜ?
あんだけ性格破綻者なのになんだってあーもモテるんだか知らねぇけどよ。」
「そーいや、跡部ってちょい態度デカイな。」
「いや、ちょっとじゃねぇちょっとじゃねぇ。ありゃ俺様全開野郎だ。」

………………こいつら。

ガタッ

「おい、テメーら。」

とーとー我慢がならなくなって俺は座ってたところから立ち上がった。

「人が黙ってりゃ随分言いたい放題言ってくれるじゃねーの。」
「ゲッ!!跡部、いつの間に!!」
「さっきからずっとだ、思い切り隣に座ってんのに気づかねーでペチャクチャと。このニブチン。」
「まあまあ、跡部。そない怒ったらんといたって。」

俺が向日を締め上げに掛かると、が割ってはいる。

、テメーも同罪だ。」
「アハハー、やっぱし〜?」

……どっかの伊達眼鏡といい、こいつといい、関西人ってのは人をおちょくるのが趣味なのか?
それともたまたま俺の周りにいるのがそーゆー人種なのか?

まあ、んなことはどうでもいい。

「向日、お前今日部活の前にグランド10周な。」

俺は解放してやった向日にそう宣告する。

「クソクソ跡部!お前職権らんよーだぞっ!!」
「増やされてぇなら話は別だぜ?」

俺が言うと向日は渋々大人しくなった。

「やでやで、テニス部の奴らって大変やなぁ。」

ボソリというがいちいち気になる俺は、一体どうしたというのだろう。

…これでと関わったのは三度。
そう、たった三度。

別に好みのタイプじゃない。(寧ろ逆)
背も低いし、面も大した造作じゃねぇ。(つーか地味でブスだ)

それなのに何故だ。

何故俺は、あいつの存在を忘れることが出来ない?

わからねぇ。





自分で自分がわからないそんな日が月曜、火曜と続いて、水曜日は部活が休みの日だった。

学校を終えた俺は後輩の樺地を連れて、いつものように
ストリートテニスコートへ向かおうと思っていた。
うるせぇ女共を振り切ってさっさと校門をくぐろうとしたその時だ。

「うわぁーっ!!」

頓狂な叫び声がしたかと思えば、

ドンッ!!

何かが俺にぶつかってきやがった。

「アタタタター…」
「テメェ、…」

俺は思わず呟いた。

「あ、跡部。」
「あ、じゃねーぞ、テメェ!!どこ見て歩いてやがる!!」
「わーっ、御免御免!悪かったから襟離してーなぁー。」
「ったく…」

俺はブツブツ言ってを降ろして(どうも足が地面から浮いていたらしい)、
襟首を掴んでた手を離した。

こんなの、俺らしくねぇ。
別にどうでもいいはずの奴をいちいち構うなんて。

「やでやで、」

は俺が掴んだ襟首を直しながら言った。

「私首締められんの弱いのに…死ぬか思たわ。」
「だったらテメェの視界にもうちょっと頓着するこったな。」
「せやね。」

は思ったよりあっさりと肯定する。

訳のわかんねー奴だ。
人の言うことに何だかムカつく、と言ったかと思えばこんな風にへらっと流したり、
パターンてもんがねぇのか。

「ホンマ御免な、ほな私行くわ。向日んとこに用事あるから。」
「…また何か買うのかよ。テメェ機械フェチか?」
「うん、要るもんがあるねん。」

またこいつは人の話を半分しか聞いてねぇ。
『機械フェチ』と言われたことに関してコメントはねぇのか。

「ほな、また明日。」
「待て、。」

俺は思わずを引き止めていた。
は驚いたように俺を見つめている。

無理もない、俺も自分で吃驚してんだから。

で、俺は更に自分でも何でだ、と思うようなことを口にした。

「俺も行く。」

はますます驚きを隠せない顔をした。


「ええん?」
「何がだ。」

向日んちに行く道中、がいきなり疑問文をぶつけてきたので俺は聞き返した。

「一緒におったアンタの後輩。先に帰してもうて。」
「どってことねぇよ。」

俺はぶっきらぼうに答える。

あんだ、こいつは。自分に関係ないもんには興味ねぇんじゃなかったのか。

「それやったらええねんけど。」
「お前、自分に関係ないもんに興味あんのかそうじゃねぇのかハッキリしろ。」
「そんな無茶苦茶な。何でもかんでも二者択一にはでけへんで。」

は言って、どうも二元論に偏りがちな人がおおうて(多くて)アカン、と
訳のわかんねぇことをブツブツ口の中で呟く。

「テメェがはっきりしなさすぎんだよ。」

俺は吐き捨てるように言ったが、多分、一番はっきりしてねぇのは自分だ、と思った。
俺は一体こんなとこまで来て何やってんだ。

そうして他愛のない会話、というにはやや沈黙が多い状態を保ちながら
俺とは向日んちである電器屋に着いた。


よくよく考えるまでもなく、俺はこういう場所に来たのは初めてだった。
当然だが俺に縁がある訳ねぇからな。

しかし何だ、こーゆー商店街にある店ってーのは…どうもゴチャゴチャした感じがしやがる。
見たトコ店の2階が居住スペースみてぇだが、こんなとこにどうやったら住めるんだ?

「どないかしたん?」

上を見ていた俺の様子が気になったのか、が聞いてくる。

「別に。」

俺は短く答える。はフーン、と言ってさっさと店の中に入っていく。
途中であいつは振り返って入らへんの?と聞いてきた。

「俺はここで待ってる。こーゆーとこは慣れねぇ。」
「それもそーやな。」

は言った。

「跡部が中入ったらカバンでモノ薙ぎ倒しかねんもんな。」

言っては俺のテニスバックに目を向ける。…こいつ。

「くだんねぇこと言ってないでさっさとてめぇの買い物済まして来い。」

俺が言うとはアンタが勝手についてきたんやないか、
とブツブツ呟いて店の奥の方へ行ってしまった。

が入っていくと近くにいた中年の女(多分向日の母親)が
あいつに気がついたらしく、近づいていくのが見えた。

「あらちゃん、いらっしゃい。」

そう言っているのも聞こえる。

「今日も元気そうだね。おや、誰か待たせてるね。彼氏かい?」

誰が誰の彼氏だと?
つーか、ジロジロ見んな!!

「いや、そんなんちゃうんです。只の知り合いです。」

言われたは首をブンブンと横にかなり激しく振る。
おい、そこまでやられると何か感じ悪ぃぞ。

「そうかい、でも随分綺麗な子だねぇ。で、ちゃん、今日は何を探してるんだい?」
「えーとですねぇ、MOディスクとドライヴ見たいなーと思て…」

の奴、完全に馴染みの客じゃねーか。

「あー、ー!」

今度は俺にとって馴染みの声が聞こえ、店の奥からこれまた馴染みのおかっぱ頭が現れる。

「やっぱり来たなー…って何で外に跡部がいんだよっ?!」

チッ、気づきやがったか。もっと外れたところで待っとくんだったぜ。

「何やようわからん…いきなり俺もくる言うて引っ付いてきてん。」
「へー、あの跡部がねぇ。」
「ただの気まぐれだ。」

向日の野郎が不審そうに眺め回してくるもんだから、
俺は柄にもなくムッとして店の奥に向かって言った。
それを聞いた向日はに向かって何か言ったが、生憎それは俺には聞こえなかった。
どうせロクなことじゃねぇだろうが。

はというと、呑気に向日親子と喋りながら何やかんやと
電子機器類の品定めをしている。

にちょっかいをかける向日、それを嗜める母親、そして何の屈託もなく笑う
何だか随分と楽しそうだ。

どういう訳か俺は店の奥で展開されているその光景に妙な感じを覚えた。

何だ、この感じは。

まるで今その光景をガラス越しに見ているような……
近くにあるはずなのに妙に遠いような……

そうだ、アレだ。

別世界を見ている感じ。

そこまで考えて俺はチッとこっそり舌打ちをした。
一体俺は何馬鹿なこと思ってんだ。

…そうして散々俺を待たせた後、はMOディスクと外付けのドライヴを入れた
ビニール袋を下げて店から出てきた。

おせーんだよ、と言ったらアンタまだ待ってたんや、
と意外そのものだと言わんばかりの反応を返された。


「向日、滅茶苦茶吃驚してたなー。」

帰り道、はどこかボンヤリした調子で言った。

「ま、無理もないけど。私もまさか跡部が私の買いもんに自分からついてくる思わへんもん。」
「あんだ、何か文句でもあんのかよ?」
「いやぁ、何ちゅーかアンタやったら『何で俺様がんなこと行かなきゃなんねーんだよ』
みたいな感じかなって。」

こいつ、ボケ面してるくせに結構言ってくれるじゃねーの。
否定はしねぇがな。(できねーんじゃねぇぞ!!)

「フン、俺からすりゃ電器屋の馴染みになってる女子の方が驚きだ。」
「向日にもよう言われるわ、理系でけへんのに機械系女ってどないやねんって。
しかし要るもんは要るねんからしゃあない。」
「ハッ、とんだ女だな。誕生日にゃ指輪よりもディスク貰う方が嬉しいタチか?」
「それええなー。跡部、私の誕生日にDVD-RAM頂戴。」

言っては隣でニヤニヤ笑った。

それで俺は、大丈夫、こいつは別世界の住人じゃない、と
訳のわからないことを思ってホッとした。

「何で俺様がてめーに物やらなくちゃいけねーんだよ。」

内心を押し殺すように俺は言った。
そんなことを知らないは至って呑気に言葉を続ける。

「ケチやなー、アンタ金持ちのボンボンやないか、DVD-RAMの一枚や二枚ケチんなや。」
「ケチんなやって、男みたいな言い方してんじゃねーよ。」
「何や、アンタ区別つくんか。」

当たり前だ、馬鹿。

「あ、そっかお宅んとこの部活も関西人がおったな。」

も気づいたらしかった。

「お前、筋金入りの阿呆だな。」
「…何とのうアンタには言われたなかった。」
「何でだよ。馬鹿とは言ってねーぜ?」
「問題がちゃう。」

言っては電器屋の袋をブラブラさせながら、急に目を夕焼け空の方に向けた。
何かあるのかと思って俺はその視線を辿ったが、何も見えなかった。

少なくとも俺には。


それからと何を話したのかはまるっきり覚えていない。

ただ、ふと気がつけば俺は帰宅していて。

自室に入れば何だか、生ぬるい夢から引きずり出されたようなそんな感じだけが残っていた。

結局、俺は今日一日何やってたんだ???

制服から着替え終わって西日が差し込む窓を見れば、
何故か電器屋のビニール袋をブラブラさせながらボケた顔で
中空を見つめるの姿を思い出した。



そうして、何故自分の中からの存在が離れないのか
訳のわからないままに俺はと時を過ごすことが多くなった。

休み時間に会えば、からかって遊んだ。
面白くねぇことがあれば強引に話につき合わせた。
が向日んとこの電器屋によってはちょこちょこ電気小物を買うのにもついていった。

……可笑しな話だ。この俺様ともあろう者が。
一体どうしたってんだ。

そんな日が続いてとある昼休み、俺はまたの隣にたたずんでいた。

「私、べーたん親衛隊に殺されたないんやけど。」
「あんだ、そのべーたんてぇのは。」
「アンタ。」

屋上の金網越しに下界を見つめながらは水筒の蓋に麦茶を注ぐ。

「てめぇ、怖いもの知らずか、それとも単なる阿呆か?」
「知らん。どーでもええ。とにかくこんな現場見られたら私、アンタの親衛隊に殺される。」

それだけが重要なんだ、と言いたげな感じだった。

「心配すんな、んなことさせねぇよ。」

俺はの視線を辿りながら言う。

「俺様が好きでやってることだからな。」
「私みたいな変人とおってどないするんよ。アンタみたいなタイプにとってはおもろないやろに。」
「俺様の勝手だ。」
「…ようわからんやっちゃな。」

は言って、水筒の蓋に注いだ麦茶を飲み干し、
制服のスカートのポケットをガサガサする。

「あげる。」

言ってが俺の前に突き出した手の中には、パイナップルの飴が乗っかっていた。

「いらねぇよ。」

つい反射的にそう答えた。

は特に気に障った様子もなく、ああ、そうと言って手を引っ込め、
自分はいそいそと小袋を開けて飴を口に放り込む。
甘酸っぱいパイナップルの香料の匂いが、一瞬広がった。

で、の目は相変わらず金網の向こうの一点を凝視していた。

「何見てんだよ。」
「んー?」

寝ぼけたような声ではやっと俺の方を見た。

「何かなー、こないしてると何かいつも見えへんもんが見える気するねん。
そんなわけあらへんの、わかっとうけど。」

それを聞いて俺は何だかおかしくなった。

「バーカ。」

俺は呟いた。

「わかってんならやってんじゃねーよ。」
「ほっといてか。」

はムゥと膨れっ面をする。
拍子に、口の中に入れた飴がカツンと歯に当たる音が聞こえた。

「おい、。」

俺は言った。

「やっぱ飴よこせ。」
「何やねん、ようわからんやっちゃな。」

ブツブツ言うわりにはポケットからパイナップル飴を一個取り出して、
ハイ、とあっさりくれた。

俺はそれをさっさと口に入れた。
甘ったるいかと思っていたそれは案外爽やかで悪くない味だった。

しばらく、俺とは何も話さなかった。
沈黙に支配されて、俺の意識がボンヤリしてくる。
俺とのいるところだけ時間の流れが遅くなっている感じがする。

何だか不思議な気分だ。こう、何かが抜けていくような。

…そんな風に2人して屋上で飴を舐めながら馬鹿みたいに
ボウッとしていたら昼休み終了のチャイムが鳴って、
俺はまた生ぬるい夢から引きずり出された思いがした。

つーか、不快指数が増した。


「随分面白ぇ奴だな、は。」

部活の時にそう言ったら、向日がきっちり反応を示した。

「跡部もそー思うのか?」

意外だと言わんばかりに"も"を強調するな、"も"を。

「そーなんだよな、パッと見は存在感薄い感じなのに、
一遍関わったら絶対忘れられねーんだよ、あいつは。」
「お前と同じ意見ってのはゾッとしねぇがな…ま、確かにそのとおりだ。
一体あいつは何なんだ?」
「あんだよ、その言い方は。」

向日は不満げにドリンクをすする。
次にこいつが口を開いた時、何か声色が神妙な感じだった。

「…俺はさ、いつもといると何か安心すんだよな。
あいつといると他の女子と一緒の時より何か自分が自分でいられるって感じがしてさ、
ほら、あいつ他人のことにいちいち首突っ込まないだろ?
大抵、どーでもいい、知らないで済ませてくれて。
だからあんまし意識しなくていいっつーか、そんな感じがすんだよ。」

ここで向日は一旦言葉を切った。

「だから、かな。時々あいつの姿見ねぇと落ち着かねー感じがすんだよな。
安心できる場所が無くなったみたいで不安になってくる。」

ああ、そうか。

俺はここに至ってやっとわかった。

何故、自分の中から の存在が離れないのか。

そーゆーことかよ。
全く、俺様としたことが情けねぇ話だ。



……………………まさか、といることで無意識に自分も安心感を得ていたとは、な。



「おい、。」
「おー跡部、どないしたん?アンタがわざわざうちのクラスまで来るなんて
天変地異の前触れやな。」
「お前、今の発言で自分の後ろがどーなってんのか自覚あんのか。」
「知らん。どーでもええ。で、御用事は?」

どこまでも呑気には言う。
その様に俺は思わず微笑したくなるのを堪えながら用件を口にした。

「忘れモンだ。」

言って、音楽の教科書を放り投げる。
はわっとっと、とたたらを踏んでそれを受け止めた。

「わざわざ届けてくれたん?どうもありがとう。」
「勘違いすんな、以前の借りを返しただけだ。」
「屈折しとんなー。しまいめに友達なくすで。」
「ハッ、んな心配俺様には必要ねーんだよ。」

そう。必要ねぇんだ。

今、目の前に安心できる場所をくれる奴がいるから。

「………当分付き合ってもらうぜ、。」
「へ?」

要領を得ないはボケ面をさらす。
俺はそれを見てクックッと思わず笑い出す。

「そーや、跡部。私今日も買いもんするけど、一緒に来る?」
「テメェ、電気モノ中毒か。また何買うつもりだ、ああ?」
「USBのケーブル。失くしてもうたんよ。」
「やっぱ阿呆だな。」
「失敬な。」
「言ってろ。」


ああ、多分、こいつの存在は一生俺の頭から離れることはないだろう。

唯一俺から離れえぬモノ。

それは… 


終わり。



作者の後書き(戯言とも言う)
何を間違えてこんなん書いたんやろ…。
でも何となくふよふよしたよくわかんない感覚を抱える跡部少年を書いてみたかった。
何だか訳がわかるよーなわからないよーな妙な感じがするものを書いてみたかった。

こんな衝動に駆られるなんて珍しいんですが。

つーか、向日少年出しすぎたな。彼が電器屋の倅であることを思い出した途端、
作品で使ってみる辺りもう私アカンわ…。

ついでに誰に何を言ってもこれが宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』を
BGMにして書いたなんて信じへんやろな。


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